登高会

 碧空を摩する白雪皚々たる峻嶺はこれ人生鍛錬の場所である。
何等強烈なる刺激なく幻の如く夢の如き平地は俗人小競合の泥海である。
四時氷雪を以て蔽はるる玲瓏たる大自然の雄姿を仰ぐ時、その打震ふ光に誰か胸躍らぬ者があらうか。

 劔の如き人生の闘士の熱血は唯々崇高偉大なる高山の神壇に於てのみ養はる。
諸君共に鷲の如く絆なき青春の凱歌をその頂に高唱して無限の静寂に酔はん哉

文:©1915 槇有恒 5月29日の山岳会創設時に掲示した檄文
写真:©1960(木村カメラマン=毎日新聞社)ヒマルチュリ③C3より大氷壁へ
ご挨拶

登高会ではこのたびホームページを開設しました。この情報化時代に今頃?と幾分のんびりした対応でいささか面はゆくはありますが、まずは第一歩を踏み出しました。この機会にあらためて登高会のご紹介をさせていただきます。

そもそも慶應義塾体育会山岳部は1915年(大正4年)に当時慶應の教授であった鹿子木員信の指導の下、槇有恒・内田節二両先輩を中心に22名の部員によって創設された慶應義塾山岳会にその源を発します。その6年後1921年(大正10年)に現在の登高会の前身である三田登高会がOB組織として発足しました。その語源である「登高行」とは単に高い処に登ると言うことに止まらず様々な困難を克服しより崇高な目的(人生そのもの)を目指す人生鍛錬の行いである、と鹿子木教授は説きます。登高会はまさにその精神を体現すべく発足し今日に至っています。

若い日々の多くの時間を過ごした部室にちなんで私たちは山岳部と登高会を総称して「ルーム」と呼んでいますが、その100年を超える歴史の中で現役学生とOBが協力しあって幾多の実績を積み重ねて来ました。その成果は学生2名が参加した1960年のヒマラヤ・ヒマルチュリ峰(7,893m)の初登頂に端的に表れています。メンバーの一人ひとりが他者に惑わされることなく自分たちの山登りの力を冷静に評価し、万全の準備をそなえて敢然と目標に挑戦するという重装主義或いは組織の民主的運営が私たちが実践して来た「ルーム」の山登りの理念と言えます。

先人たちの足跡をたどりつつこの精神の下これからも「ルーム」が山においても都会においても素晴らしい成果を上げ、新たな歴史を築き上げることを期待しています。

登高会幹事長 瀧 良三